旭川実業高等学校 同窓会

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恩師紹介 宮崎 譲 先生

宮 崎 譲(Yuzuru Miyazaki)
専門教科
経歴
地歴・公民・商業
埼玉県出身
埼玉県立浦和高校卒業
北海道大学経済学部卒業
埼玉銀行(現りそな銀行)に2年間勤務
在職期間 ●教諭
昭和54年4月1日~平成26年3月31日
(定年退職)

●時間講師
平成26年4月1日~

1.旭川実業高校に勤めるきっかけ
 北海道学事課の私立教員採用希望の名簿に登録していたところ、堀水孝教先生からのお誘いがあり、また大学時代の先輩横山先生が勤める高校と知り、赴任することになりました。教員の仕事は銀行の仕事と違い、自分で判断しなければならない仕事であり、責任も重かったですが、やりがいのある仕事で、堀水孝教先生からは「銀行よりは給料は安いぞ」と言われましたが、十分納得して転職できました。
2.在職中の思い出
◎普通科初期の頃の大学進学指導
・当時普通科の横山先生のクラスにラサールから転校してきた生徒の進学指導を手伝いました。学校で進学指導できる体制が整っておらず、16:00になったら下校し、現在の彫刻美術館の裏にあった堀水旭先生の下宿1階で補習を実施しました。本校初の北大合格でした。
・当時の普通科は進学よりは就職を考える生徒が多数いました。普通科の生徒にそろばんを教えていました。自分ではどうしても納得がいかず、普通科は全員進学を目指す科にしなければならないと強く感じました。記念館3階に初めて補習を行う演習室が誕生し、大学進学を目指す体制が徐々にできてきました。この頃は電気科や商業科からも大学を目指す生徒が普通科の補習を一緒に受けて国公立大学合格も実現していました。電気科の電気工事士の特訓と切磋琢磨しがんばっていた時代でした。

◎京都大学合格
 クラスの生徒が京都大学を受験するとき「合格したら遊びに行く」と約束したところ、見事合格し、桜咲く京都大学に行き、時計台記念館のフレンチレストランで一緒にランチを食べたことが思い出になっています。
◎美術部卒業記念大作
 定年を迎え、部活の指導も最後になるので、美術部の生徒に卒業大作(ベニヤ板2枚分の油絵)の制作を持ちかけたところ、快く引き受けてくれ、大雪連峰と桜の絵を一緒に描き始めました。生徒にとっては卒業記念、顧問にとっては退職記念になる思い出に残る作品に仕上がりました。普通科1階廊下に展示してあります。(写真)
◎野外活動研究会とものづくりサークル
 物作りは工業科が専門だと思いますが、普通科にいながらも、二つのサークルで生徒と一緒に東屋やミニログハウスを作ったりして物作りの楽しさを経験させてもらいました。特に印象的だったことは生徒からの提案でチセを一緒に作ったことです。社会科の教員なのでアイヌ研究のきっかけになる取り組みでした。(写真:東屋・ログハウス・チセ)
◎野球部の主力選手(甲子園)が多くいたクラスを持ったときに、甲子園出場を果たしてくれ、甲子園球場まで応援に行ったことが大きな思い出です。主力選手の一人が現在巨人でプロ野球選手としてがんばっています。
3.近況
定年退職後は午前中時間講師として引き続き旭川実業高校で教鞭をとっていますが、自由になった時間に春光台の絵画サークルに入り、創作活動に専念しています。

平成26年5月13日(金)取材
情報委員会

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