恩師紹介 赤石 喜久雄 先生
赤 石 喜 久 雄(Kikuo Akaishi) | ||
専門教科 | 工業(自動車) | |
在職期間 | 技術職員 昭和39年11月1日~ 助教諭 昭和41年9月1日~ 教 諭 昭和48年4月1日~平成5年3月31日 |
赤石喜久雄先生は美唄市でお産まれになり、小学校2年生の時に歌志内市へ転居されました。歌志内高校を卒業後、自衛隊に入隊。昭和39年、歌志内高校在学中の校長先生で、実業高校の創立者である、堀水孝教先生から「実業高校で自動車科の講師をやってもらえないか」とお誘いがありました。技術職員として勤務されることを決意され、歌志内市から旭川市に家族で移り住みました。その後、教員免許を取得され、教諭となりました。職員野球でも活躍され、先生の元気の源であったそうです。
実業高校の特徴として、資格取得に力を入れていますが、当時は自動車三級整備士の資格取得を目指すために卒業してからも生徒を登校させ勉強させていたそうです。その頃、資格取得者が多く、今でも誇りに思っているとおっしゃっていました。
実業高校を定年退職後 、社団法人総合経理管理協会にて、静内の高校に出向かれ、建設機械の講師を勤められました。また、活動から遠ざかっていた野球に復帰され、平成16年には、今年で結成10周年目となる、旭川グランパーズ(社会人野球チーム)を結成され、チームの会長兼選手としてプレーをされてきました。必ず練習には顔を出して、若手に叱咤激励していらっしゃるようです。チームメンバーには卒業生が4名在籍していらっしゃるそうです。現在も旭川市内にお住まいで、旭川グランパーズの会長を務めています。現在80歳となりました。
先生は、今でも卒業生30人程と年賀状のやりとりをしていらっしゃるそうで、卒業生は還暦となり、孫のいる教え子もいます。
先生は卒業生に対し、「自分の人生に誇りを持って生きて下さい」とメッセージをくださいました。
平成26年2月20日(木)
〔赤石喜久雄先生の長女 西村聡美 様(旧姓:赤石)より寄稿文をお預かりしましたので、一部手を加え、掲載させていただきました。〕
情報委員会