恩師紹介 小田 邦夫 先生
小田 邦夫(Kunio Oda) | ||
専門教科 | 保健体育 スキーの授業を生徒は楽しみにしているといわれて赴任 |
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在職期間 | 昭和37年1月1日~平成16年3月31日(定年退職) 42年3ヶ月勤務 |
思い出
昭和37年度 | 第1回 卒業証書授与式を機械科実習工場で用務員さん手作りのステージで挙行。 卒業式の主賓である卒業生は、その大役を見事に果たす素晴らしい卒業式であった。 ※当時は体育館もグランドもなく鷹栖町までランニング、鷹実公園の石を拾ってソフトボール、機械科工場ができる前は地面を均してバレーボール、冬季間は春光台スキー場でスキー授業を行う。 |
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昭和39年 | 屋外運動場・体育館が完成して体育本来の授業が組めるようになる。 |
昭和52年度 | 教務部主任として国際交流開始・NZ国との教員交換交流、第1回PHS生徒受け入れを行う。 |
昭和53年度 | 2度目の高野連旭川支部事務局が来る。近文野球場の改修と重なり、市内に代替え野球場を捜すが無いことが分かる。理事長・校長の英断で校地内に野球場を新設、メーン会場とし、市内高校のグランドで予選を行うこととする。 |
昭和54年度 | 創立20周年式典挙行・学校祭実施。 |
昭和56年度 | 慶福女子商業高等学校と姉妹校提携。姉妹校バレーボール団来校国際親善試合実施。 |
昭和59年度 | 教頭として第1回韓国修学旅行に参加。姉妹校生徒と交流し涙を流し別れを惜しむ姿に感動し韓国修学旅行の成功を実感する。また国際交流と時代の変化を先取りしてブレザー型の制服の検討に入る。 |
昭和62年度 | 女子バレーボール部全国高校選抜で初優勝を遂げる。 |
平成元年度 | 創立者堀水孝教先生学園長に就任、二代理事長・校長に堀水旭先生就任。普通科校舎完成。 |
平成2年度 | 創立者堀水孝教先生逝去・学園葬で葬送。 欧州Jrバドミントン選手権女子復及び全国高校選抜で中山・増 茂組準優勝、単で中山優勝。 30周年記念式典挙行・学校祭実施。 |
平成7年度 | 全国高校野球選手権大会悲願の初出場。学園関係者・PTA・同窓生・市民・企業等多くの方の温かい支援を戴く。留守居役をしていて、午前中の電話は一般の方や同窓生の応援の電話で、午後は報道機関からの電話であった。ミラクル野球で一戦毎に応援の力強さを感じた。 |
平成8年度 | 姉妹校慶福女子商業高等学校修学旅行団のホームスティ受け入れ。 |
平成9年度 | 二代目理事長・校長堀水旭先生急逝・学園葬で葬送。夢にも考えなかった青天の霹靂であった。 三代目理事長 堀水 享氏を迎え、薫陶戴いたことに感謝している。 |
平成13年度 | 創立四十周年に花を添えた、全国高校サッカー選手権初出場。他の種目にない入場行進で地元や都道府県の花や産物を持ったり旗を振っての入場行進パーフォマンス、熱気溢れるスタンドから応援したことが昨日の如くよみがえる。 同年、9・11テロのため海外修学力を中止、国内に変更。 応援歌制定。 |
平成15年度 | SARSにより海外修学旅行中止、国内旅行に変更。 ※創立者の等身大の銅像、荷香の滝・三省の滝、惜陰の塔、皆勤顕彰之碑、それぞれに生徒への思いと教えが籠められている。 ※このような貴重な思い出に巡り合わせる幸せを、与えてくれた学園関係者・教職員・保護者・生徒・地域の方々に感謝の念で一杯である。 |
信条
一歩前進、無忍不勝
趣味
読書・登山・スポーツ・家庭ミニ菜園
現在
末広パーク町内会長・末広市民委員会会長
※小田 邦夫 先生
・昭和37年1月1日~ 助教諭
・昭和51年4月1日~ 教諭
・昭和59年4月1日~ 教頭
・平成6年4月1日~ 副校長
・平成10年4月1日~平成16年3月31日 校長
平成26年1月9日(木)取材
情報委員会