恩師紹介 谷田部 文雄 先生
谷田部 文雄(Fumio Yatabe) | ||
専門教科 |
工業(建築) | |
在職期間 | ●教諭 昭和45年4月4日~平成20年3月31日(定年退職) ●時間講師 |
谷田部 文雄 先生は旭川市ご出身で、中学在学中に開校間もない実業高校の仮校舎(旧:偕行社、現:旭川市彫刻美術館)の目の前に住まわれていたというご縁から実業高校建設科(後に建築科)に入学されました。卒業後、高校時代の先輩が在籍されている、中部工業大学(現:中部大学)に進学され、先輩と苦楽を共にされたそうです。大学を卒業後、昭和45年に高校在学中の恩師の先生や創立者の堀水孝教先生に建設科の教員を探しているので、ぜひ来てくれないかとお声掛けをいただき、本校への勤務を決意されました。平成20年に定年退職を迎えましたが、その後、1年間、本校の時間講師として、本校のためにご尽力いただきました。
在職中、進路指導部に長く在籍され、高校時代の同級生が勤める会社に頼み、現場見学(企業)を企画されました。実際に卒業生が勤務される現場(市の公共建築やスタルヒン球場、日赤病院の建築など)に出向き、直接見学してもらうことで生徒に就労意識を高めてもらいたいとの気持ちからこの企画をされたそうです。現場見学では、卒業生が温かく迎えてくれ、実際に経験した生徒達の多くが卒業生の会社に採用していただける等、卒業生には感謝しきれませんとおっしゃっていました。
また、建築科の授業(実習)では、生徒達に作る喜びを感じてもらいという当時の所属教員の考えから、授業の一環として、校舎内の備品(木製の清掃用具入れ)や教卓の作製、更には教室や廊下等の壁をペンキで塗るという実習等も行われたそうです。
谷田部先生は、現在も旭川市内にお住まいで、ご趣味で山の絵を描かれたり、体力づくりをしながら、ロードレース(自転車)に参加される等、活発に活動をされているそうです。先生は、目標として、70歳までには韓国や琵琶湖、洞爺湖のロードレースにも参戦したいとおっしゃっていました。
また、「赴任当時は、まさか母校に勤められるとは思っていませんでした。今となっては、父母や卒業生に助けてもらいながら、38年間勤めることができ、心から感謝しています。」とお話をされていました。
最後に卒業生に「現在、世の中が目まぐるしく変化を遂げ、様々な困難、厳しい試練が待ち受けているかと思います。努力を怠らず継続していけば、必ず自分の自信につながるはずです。また、グローバル化を迎えた今日に於いては、語学の勉強をし、自分で世の中(社会)を引っ張っていく人間になって欲しいです。健康に留意をされ、自分を磨いてください。」とメッセージをくださいました。
平成26年9月1日(月)
情報委員会